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豊島教会新聞 2018年11月号 主任司祭 巻頭言

 

             「二人の鍋奉行」 

                         主任司祭 アシジの聖フランシスコ 田中 隆弘

 

 わたしに洗礼を授け、また神父になるために神学校に送ってくださった故岩橋淳一神父さんがカトリック中央協議会の事務局長をしている時に、新たに「信仰教育委員会」を発足させる準備会が大分で行われるから参加するようにと言われたことがありました。

 

 「湯布院の修道院で、しかも温泉がでるところでするんだよ!」という言葉にだまされて喜んでついて行った訳です。何をだまされたかというと、大分の司教館に二人で着くと、そこには当時四国の深堀司教さんと大分の平山司教さんが待っていて、大分の平山司教さんの運転する車で出発して、ようやく湯布院に着くと、他のメンバーの人はと思っていると、準備会のメンバーはこの四名だけだと教えられたのです。

 「偉い長崎の二人の司教さんと・・・・」思うと気が重かったのですが、着いて夕食を、ということになった時、修道院のシスター方は司教さんが二人もいるので「すき焼き」を用意してくださいました。「これは年下の私の仕事だろうな!」と「でも、すき焼きの料理の段取りなど知らないぞ!どうしよう!!」と思いました。

 すると二人の司教さん方は「すき焼きはこうするんだ!」「いや、こうだ!!」と言いあいながら全部用意してくれ、わたしはただ言われるままに食べているだけでした。その時「長崎の司教さま方」と思っていたイメージは見事に壊されてしまったようでした。

 

 イエス・キリストは弟子たちに、共同体において「偉くなりたい者は・・・」と語ります。「いちばん上になりたい者は・・・」と言います。それは「偉い」とは神様から「義とされる」(よしとされる)いうことであり、「上」とは神様に「近く」というようなことだと解釈したほうがよいと思います。

 つまり、共同体において満ちるべき精神は、神からよしとされ、神さまに近づくことが目標であり、そのためには互いに奉仕すること、つまり互いに助けゆるし合う愛を生きることなのではないでしょうか?