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豊島教会新聞 2018年12月号 主任司祭 巻頭言

                   縁側の日向ぼっこは最高                            

                        主任司祭 アシジの聖フランシスコ 田中 隆弘

 

 わたしが育った家は祖父が建て 「オール檜(ひのき)」を自慢していましたが、わたしにとっては そんなことはどうでもよく 「縁側」が大好きでした。そこに母がフトンを干すと わたしとネコのタマは日向(ひなた)ぼっこをするのでした。 それは何よりも幸せでした。 今考えてみると何も心配事がなく日光浴をフカフカのフトンの上でネコのタマとすることからの幸せだったと。 私の理想の天国の一つです。

 

 さて、そんな家を跡取りとなった弟夫婦は取り壊し、3人の子どもたちの子育てのために自分たちの家を建てたのですが、それを建てるのにあたって、3人の子どもたちが寝たあとにいろいろと話し合ったそうです。 それは長女がまだ小学生だった時でしたが、その長女が 密談を聞いてしまい、「うちにはお金がないの?」と不安そうに質問してきたそうです。 「子どもたちのために!」と思っての計画段階の時に、逆に子どもたちに不安を与えてしまったと話してくれました。

 

 そんな弟夫婦の「家」も子育ては終わり いまでは古くなり、いまでは隣りに長女宅の新居が建ち若夫婦と2人の子どもたちが住んでいます。 先日「七・五・三」のお祝いが教会、パトリック幼稚園でありましたが、そんな子どもたちに何を残すのでしょうか? 「家」は一生の買物と言われますが、しかし、その「家」(建物)はいつか古くなり取り壊されます。何が残るのでしょうか?

 

 信仰者として残せるのは、残したいのは そこでの「祈る親の姿」や大切の子として「愛された 守られた経験」(安心して縁側での日向ぼっこ)なのではないでしょうか? そして、それらの行為の中心にあるのは その「家族の指針(ししん)」となる人生の羅針盤となる「神の言葉」なのではないでしょうか?

 

 何よりも、子どもたちのその魂に 「神の愛・平和」を 体験をとおして、よい思い出を残すことができればと思います。

また、その体験が 子どもたちの生きて行くうえでの土台となるのではないでしょうか?