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豊島教会新聞 2019年3月号 主任司祭 巻頭言

2019年四旬節 教皇メッセージより

 

主任司祭 アシジの聖フランシスコ 田中 隆弘

 

 典礼暦の頂点であるキリストの受難と死と復活を記念する聖なる過越の三日間は、御子の姿に似た者となること(ローマ8・29参照)は神のあわれみの はかり知れないたまものであることを自覚して、備えの道を旅するよう つねに招いています。

 

 人は、神の子として生きるならば、聖霊の導きのもとに(ローマ8・14参照)あがなわれた者として生きるならば、さらに自分自身の心と自然界に刻まれたおきてを始めとする神のおきてを理解し、実践できるならば、被造物のあがないに協力することを通して、「被造物のためにも役立つことができます」。

 

 だからこそ、聖パウロが述べているように、被造物は神の子たちが現れるのを切に待ち望んでいるのです。 別のことばで言えば、イエスの過越の神秘の恵みにあずかる人は、人間のからだのあがないの成就という実りを、十分に味わいます。聖人たちは、キリストの愛によって いのち―霊、魂、からだ―を変えられ、神を賛美します。

 

 そして、アシジの聖フランシスコの賛歌「太陽の歌」に素晴らしいかたちで表れているように、彼らは祈り、観想、芸術を通して、被造物をも巻き込みながら神を賛美します(回勅『ラウダート・シ』87参照)。しかし、あがないによって生まれたこの世界の調和は罪と死という負の力によって絶えず脅かされ続けています。 ...

 

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、神の御子の「40日間」は、神と結ばれた原罪以前の「園」の状態へと戻すために、被造物の「荒れ野」に入ることでした(マルコ1・12-13、イザヤ51・3参照)。キリストの希望が被造物にも もたらされ、「いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子どもたちの栄光に輝く自由にあずかれる」(ローマ8・21)よう、わたしたちの四旬節が同じ道をたどりますように。この有益な時間を無駄に過ごしてはなりません。

 

 真の回心の道を歩めるよう、神に助けを求めましょう。自分だけを見つめる利己主義を捨て、イエスの過越に目を向けましょう。困窮している兄弟姉妹に寄り添い、霊的、物的な財を彼らと分かち合いましょう。罪と死に対するキリストの勝利をこのように実生活で具体的に受けとめ、その変革の力を被造物にも届けましょう。