豊島教会新聞 2019年6月号 主任司祭 巻頭言
「 不足優先の原理 」
主任司祭 アシジのフランシスコ 田中隆弘
以前、復活祭のあと、お休みをいただいて車で旅行をした時、同乗の先輩の神父さんの一人が病気の関係でのどが渇くらしく、
すぐに水が飲みたいと騒ぐので、ウーロン茶2リットルのペットボトルをコンビニで買って渡しました。その神父さんは「イエズスさまといっ
しょだ!」「乾く!」とバチあたりなことを言ってはおいしそうにウーロン茶を飲んでいました。
まあ、それは病気ということですが、その神父さんの友だちの旧約の先生が、イスラエルに旅行した時、ネゲブの砂漠で手持ちの
水を切らせてしまい、這う這うの体(ほうほうのてい)でベドウイン族のテントに助けを求めたことがあったそうです。荒野で、そして砂
漠での脱水症状は死を意味し、自分がそれと気づいてからでは、もう手遅れということのようです。
「こんにちは」と現地語であいさつし、おそるおそる挨拶すると、テントの主人は同じような挨拶の言葉をかえしてくれて、すぐに手
にしていた革袋を突きつけ袋の水をまず飲め、と言ったそうです。しかし、渡された革袋はやけに軽かったので、一口飲ませてもらっ
て、返そうとしたそうです。するとテントの主人は首を横に振って、もっと飲めという顔つきをしたそうです。
「あまり残っていないよ」とその先生が答えると、「お前にはまだ水が必要なのだ。顔を見れば、どのくらい渇いているかわかる。この
中で一番渇いているのはお前だ。これを飲むのは、お前の当然の権利なのだ。だから、もっと飲め!」それから先生は残りの水をそ
の男がいいと言うまで、飲むことになったということです。
水分の必要な者が水を飲む、それが誰であれ飲む資格がある。
周囲もまたそれを望む、〈不足優先の原理〉 これが砂漠の掟だそうです。
そのころ、また大勢の群衆がいて、食べ物を持っていなかったので、イエズスは弟子たちを呼び寄せて言われた。
「この群衆がかわいそうだ。もうすでに三日間わたしといっしょに過ごし、今食べる物を持っていない。もし空腹のまま家に帰らせ
たら、途中で倒れてしまうであろう。中には遠くから来ている人もいる。」
弟子たちは答えた。「この人里離れた所で、これらの人々に、満腹するまでのパンを食べさせることができましょうか」。
するとイエズスは、「パンはいくつあるか」とお尋ねになった。弟子たちは、「七つあります」と答えた。 (マルコ8.1-6)