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豊島教会新聞 2020年8月号 主任司祭 巻頭言

 

 『 影との戦い ゲド戦記 』             

  

                              主任司祭 フランシスコ  田中隆弘 

 

 「トーク。」 とつぶやいた。手のひらのものはもとの小石にもどった。もはや宝石どころか、どうということもない灰色の小さな石くれだった。長(おさ)はその石を指でつまんで、自分の手のひらに移した。

 

 「これは石ころよ。真の名は“トーク”と言うがな。」 長は顔をあげ、そのおだやかな視線をゲドに移して言った。「ローク島をつくっている岩のひとかけじゃ。人間の住むこの陸地を形成しているほんのひとつぶよ。石ころは石ころ以外の何物でもない。この世を形づくるほんの一部分でな。目くらましの術をもってすれば、そりゃ、ダイヤモンドのように見せかけることはできるさ。いや、ダイヤモンドだけじゃない。ほれ、花のようにも、ハエのようにも、目玉のようにも、炎のようにも、一応見せかけることはできる。」

 

 石ころは、長が言い進むにつれて、花から炎までくるくるとその姿を変え、最後にまた小石にもどった。「だがな、それはあくまで見せかけにすぎん。目くらましというのは、そのことばどおり、見る者の目をあざむくことじゃ。目くらましの術を使えば、たしかに人は目で見たり、耳で聞いたり、手でさわったりして、物が変化したと思うさ。だが、術は実際には物を変えはせん。この石ころを本当の宝石にするには、これが本来持っている真の名を変えねばならん。だが、それを変えることは、よいか、そなた、たとえこれが宇宙のひとかけにすぎなくとも、宇宙そのものを変えることになるんじゃ。そりゃ、それもできんわけじゃない。いや、実際可能なことだ。それは姿かえの長の仕事の領域でな。そなたもいずれ習うじゃろう、時が来ればな。だが、その行為の結果がどう出るか、よかれあしかれ、そこのところがはっきりと見きわめられるようになるまでは、そなたは石ころひとつ、砂粒一つ変えてはならん。宇宙には均衡、つまり、つりあいというものがあってな、ものの姿を変えたり、何かを呼び出したりといった魔法使いのしわざは、その宇宙の均衡を揺るがすことにもなるんじゃ。危険なことじゃ。恐ろしいことじゃ。わしらはまず何事もよく知らねばならん。そして、まこと、それが必要となる時まで待たねばならん。あかりをともすことは、闇を生みだすことにもなるんでな。」

 長(おさ)は再び手のひらの石に目をおとした。「石は石で、またいいものじゃ。」 長の口調がやわらいだ。(影との戦いゲド戦記1より)

 

「ゲド戦記」は「指輪物語」「ナルニア国物語」と並ぶ世界三大ファンタジーとして、世界中で愛されているファンタジー小説です。ソローの 『ヴオールデン‐森の生活』 と同様に再読しているもう一冊、シリーズです。

 

再読するために、本屋さんに行った時、池袋三省堂の女性店員さんから 「プレゼントですか?プレゼント用に包装しますか?」とたずねられました。子ども いや孫へのプレゼントと想われてしまいました。