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豊島教会新聞 2020年9月号 主任司祭 巻頭言

 

「 すると試みる者がやって来て 」             

  

                            主任司祭 アシジのフランシスコ  田中隆弘 

 

  すると、試みる者が近づいて来てイエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」 イエスはお答えになった。 「『人はパンだけで生きる者ではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる』 と書いてある。」  (マタイ4・3-4 )

 

 以前購入した炊飯器が故障してしまい、修理に出しました。店員さんに「修理には三週間はかかると思います。」  と言われ、その時にすぐに頭に浮かんだ聖句が、「人はパンだけで生きるものではない。」でした。「え、三週間、お米が食べられない。どうしよう」 と思ってしまったので、その聖句が出て来たのです。 人生は大なり小なりありますが、自分が思い描くとおりにさせてくれない出来事に出会ってしまいます。そして、そのような出来事は例外なく、すべての人に訪れます。「いや、自分は違う。」 と思い込むのはまちがいです。

 

 「すると試みる者がやって来て言った」 とあるように、すべての人が例外なく、人生のうちに何度も試みに会うのです。しかも、その時こそ、運命のわかれめ、「瀬戸際(せとぎわ)」 なのです。確かにピンチですが、それは転機でもあり、チャンスの時にもなる可能性のある出来事かもしれません。 しかし、わたしたちはその 「運命のわかれめ」「転機」「チャンス」 を往々にして逃がしがちです。

 

 人間はアリのように集まって、東西に急ぎ、南北に走って…夜になると眠り、朝がくると働きだす。何のためにそうした生活をいとなんでいるのかだ。長寿を願い、利を求めてやむときがないのである。 しかし老いと死はまことに速くやってくる。 そんな有様で人生に何の愉しみがあるだろうか。 ところが迷っている人間は、それをすこしも気にかけない。というのは名利に溺れて死という人生の終点が近いことを考えようとしないからである。… 『徒然草』 (第七十四段)

 

 しかし、イエスは答えて言った。 「人は神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」 と。

わたしたちも、自分自身の 「試み」 の時に、日々の歩みをとめて、しっかりと立ち止まり、その瀬戸際を転機として、エゴを手放し、神の子として成長することができればと思います。