豊島教会新聞 2021年1月号 主任司祭 巻頭言
『 海の一部なんだよ 』
主任司祭 アシジのフランシスコ 田中隆弘
『 「この間おもしろい小ばなし聞いてね」 とモリーは言い出し、しばらく目を閉じている。
ぼくは待ちかまえる。「いいかい。実は、小さな波の話で、この波は海の中でぷかぷか上がったり下がったり、楽しい時を過ごしていた。気持ちのいい風、すがすがしい空気―ところがやがて、ほかの波たちが目の前で次々に岸に砕けるのに気がついた。『わあ、たいへんだ。ぼくもああなるのか。』 そこへもう一つの波がやってきた。最初の波が暗い顔をしているのを見て、『何がそんなに悲しいんだ?』 とたずねる。最初の波は答えた。『わかっちゃいないね。ぼくたち波はみんな砕けちゃうんだぜ! みんななにもなくなる!ああ、おそろしい』 すると二番目の波がこう言った。 『ばか、わかっちゃいないのはおまえだよ。おまえは 波なんかじゃない。海の一部なんだよ』 」 ぼくは笑った。モリーは目を閉じる・・・』
ミッチ・アルボム著 「モリー先生との火曜日」 より
わたしたちは 「生きている時 」 にあるいは 「死んだ後 」 も真の至福を求めて生きています。そして、新年のこの時、人はそのための一年の計と、生涯の計を新たに思案します。その際、多くの人がその前提となるものに答えを出さないままに歩みだしてしまうために、真の至福を得ることを難しくしているような気がします。それは、そもそも至福を求めている「わたし」は何者かという公案です。