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豊島教会新聞 2022年7月号 主任司祭 巻頭言

 

 『 キリストを着るもの 』

 

                          主任司祭 アシジの聖フランシスコ 田中隆弘

 

  わたしたちキリスト者の信仰は単なる一連の標語みたいなものに対する知的な承認のようなものではありません。

 つまり、わたしたちは 「人類みな兄弟」 とか 「お父さんお母さんを大切にしよう」 とか言ったような標語命題を信仰しているわけではないのだと思います。

 

イエズスは人々ではなく、弟子たちに 「イエスが言われた。それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」 (マタイ16・15) と問うたのに対して、ペトロは弟子たちを代表して 「神の子キリストです。」 と信仰告白しています。

 

わたしたちキリスト者の信仰はまさにこの 「イエズスがキリストである。」 という信仰なのだと思います。すなわち、ある意味で信仰においては 「何」 をではなく 「だれ」 を信ずるかが中心なのです。

 

 そういう意味で言えば、キリスト教の信仰とは、わたしたちを招いておられるイエズス・キリストに対する信頼であり、また自己のすべてを委ねる自由な応答なのだと思います。

 

そして、それが、『それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たいものは、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」』 (マタイ16・24) ということになるのではないでしょうか。

 

また、その時にこそ 聖パウロは 「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、

キリストを着ているからです。」 (ガラテヤの教会への手紙3・26-27) とある

 「キリストを着るもの」 になるのかもしれません。 

 

共にそうあるように、聖母マリアのとりつぎを願いましょう。