豊島教会新聞 2017年4月号 主任司祭 巻頭言
2017年四旬節 教皇メッセージ
「みことばはたまもの、他の人々はたまもの」 に導かれて
主任司祭 アシジの聖フランシスコ 田中 隆弘
わたしはここで、金持ちとラザロのたとえ話しについてとりわけ考えたいと思います (ルカ16・19‐3参照)。
この非常に意味深いたとえ話の導きに身をゆだねましょう。 この話は、真の幸福と永遠のいのちを得るためにはどのように行動したらよいかを知る鍵をもたらすと同時に、心から回心するようわたしたちを強く促しているからです。
このたとえ話は、はじめに二人のおもなる登場人物を紹介していますが、貧しい人のほうがより詳細に描かれています。…(20‐21節参照) これは、何もかも奪われ、辱められた人を描いた闇のような光景です。
この場面は、貧しい人が「ラザロ」という名であることを考慮に入れると、さらに劇的なものとなります。ラザロとは文字どうり訳せば「神は救う」という意味の、希望にあふれる名前です。したがって彼は名もない人ではなく、その特徴もはっきりと描かれています。 彼は自分自身の物語をもった人として示されています。
彼は金持ちにとっては、いないも同然の存在ですが、わたしたちにとっては、よく知っている、どこか身近な存在であり、顔のある一人の人物です。したがって、彼はたまものであり、かけがえのない宝です。たとえ彼が実際、見捨てられたような境遇に置かれていても、神は彼を求め、愛し、心にかけておられるのです。…
ラザロは「他の人々はたまものであること」をわたしたちに教えています。 正しい対人関係は、相手の価値を感謝のうちに認めることによって成り立ちます。 金持ちの門前にいる貧しい人もじゃま者ではなく、回心して生き方を変えるよう求める一つの呼びかけです。・・・
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この教皇メッセージに導かれ、ふさわしい回心を 共々に聖母マリアのとりつぎのうちに いたしましょう。