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豊島教会新聞 2017年9月号 主任司祭 巻頭言

 「わたしの魂が追いつくのを待っていたのだ」                   

                       主任司祭  アシジの聖フランシスコ 田中 隆弘

 

 『モモ』という時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりもどしてくれた女の子のふしぎな物語を書いたミヒャエル・エンデ(ドイツの児童文学作家 この作品でドイツ児童文学賞)が あるところで語った話しがあります。 それはある学術グループが古代の文明の発祥の地に調査に行ったのですが、そのうちの一つの山の上にある遺跡を調査するにあたって、彼らはそのために自分の国で計画をたて、スケジュールを作成し その日程どうりに行動しようとした訳です。

 その山は高く、彼らだけでは道具を運べないため、その地元のインディオを雇い出発するのですが、予定どうりにすすんでいると思っていた矢先に、突然インディオたちが黙って立ちどまり、荷物を置いて輪をつくって座わりこんでしまったのです。学者グループは賃銀のことかと思い、話しかけたり銃でもって脅してみたりしたのですが、彼らは黙まったまま2日間その状態だったそうです。

 しかし、2日後、彼らは突然立ち上がり荷物を持って歩きだしたそうです。後に仲良くなってから、そのインディオたちに どうしてそうしたのかと聞くと、彼らは「あまりに早すぎたので、わたしの魂が追いつくのを待っていたのだ。」と語ってくれたそうです。

 『モモ』には、「時間がすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです。」とあります。

 「人は全世界を手に入れても、魂を失っては…」と語るイエス・キリストは、この世の富を、いま手に入れている富を何のために使うのかと問うているようです。現代社会において、現代人は時間を惜しんで、子どもは勉強し、大人は働く訳ですが、そうした末に手に入れたものを、その この世の富をどうするのかと問うているわけです。

 以前、ある信者さんの家を訪ねたら、こんな話しをしてくれました。銀行の人がやって来て、自営業をしているので会社のお金をその銀行に入れてあったそうですが、その銀行の人が、個人としての、また奥さんの預金も入れてください、と頼まれたそうです。その人は「天の国に積んであるよ!」という意味で、「それは『天国銀行』に入れてあるよ!」と答えたそうです。