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豊島教会新聞 2018年8月号 主任司祭 巻頭言

 

                        皆んなで作り食べる 「カレーライス」                     

                         

                                                      主任司祭 アシジの聖フランシスコ 田中 隆弘

 

 

  夏休みになると各教会は日曜学校の夏季キャンプが計画され実施されます。

 そんなキャンプでの野外活動の定番の一つに、たとえば皆んなで作る 「カレーライス」 があります。そして、その野外での食事はいつもほんとうに 「おいしいな!」 と思うのですが、それがキャンプでの楽しい思い出の一つになるわけです。

 

  そんな 「カレーライス」 が 「おいしい!」 と思い出の一つになるのは、「おいしい!」ということもありますが、それ以上に「皆んなで」 「いっしょに」 「作り」 「共に」 「食べる」 ということが楽しいということではないでしょうか?

 

  さて、旧約聖書のなかで 「マナ」(出エ16.31)と名付けられる神さまからの食物として与えられたパン(出エ16.15b)の話しがあります。この 「マナ」 は「それぞれ必要な分(家族の数に応じて)を集めよ」と神さまから言われます。しかし、「ある者は多く集め、ある者は少なく集めた。」 でも量ってみると、「多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれ必要な分を集めた」 とあります。(さらに、つづきには、それはよく日分として、とっておくことができなかった…とあります。)

 

 この話しは、イエス・キリストの 「ぶどう園の労働者のたとえ話」(マタイ20.1~16)と同じです。多く働いた者も少し働いた者にも、その一日に必要な「1デナリ」の報酬が与えられたという、あのたとえ話しと同じです。神さまは、「今日」一日を神の子として生きて行く糧を与えられたのです。

 

  ヨハネ福音書の 「天からのまことのパン」 「神のパン」 「命のパン」(ヨハネ6.24-35)はそのような一日分の「今日」のパンです。「きのう」 「今日」 「明日」の「今日」ではなく、神さまの救いの訪れる「今日」です。日々好日の「今日」です。

 それは かけがえのない 「今日」です。イエス・キリストが弟子たちに教えた「主の祈り」の「今日の糧をわたしたちに与えてください。」です。

 

  夏季キャンプの 「カレーライス」 はそんな 「今日の糧」 「わたしたち」 皆んなでいっしょに共に食べる至福の糧なの かもしれません。