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豊島教会新聞 2022年8月号 主任司祭 巻頭言

 

 

『イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」 と言われた。』

                                      (ヨハネ2019 

 

  『 じゃりン子チエ 』

 

                                                                                                                    主任司祭 アシジの聖フランシスコ 田中隆弘

 

  わたしが叙階後、新司祭として赴任した教会には 「チエ」 という名のネコが住んでいました。

 赴任して主任神父さんから教会学校の責任者として任命されたのですが、その教会学校のリーダーの一人の先生が、カトリック系の幼稚園の先生で、その幼稚園の近くで迷いネコの子ネコを保護し、飼い主が見つからなかったので、主任神父さんに相談し、最終的に教会で飼うことになったネコです。主任神父さんは漫画 「じゃりン子チエ」(はるき悦巳作)から 「チエ」 と名づけました。

 

 そんなチエは教会学校の時はサブリーダーとして、また子どもたちのアイドルとして活躍してくれましたが、わたしたちはそんな時に 「猫の手も借りる」 と言っていました。しかし、ネコはネコです。日ごろは教会の中を自由気ままに過ごしていました。でも自由気ままといっても、教会内で二ヶ所だけ自由にならない所がありました。それは一つは 「聖堂」 でもう一つは 「司祭館食堂のテーブルの上」 でした。

 

 主任神父さんは何んとかこの二ヶ所について躾けようと子ネコのころからやっていましたが、なかなうまくいかなく、たびたび 「入ってはいけない!」 「のってはいけない!」 と説教していました。でも、わたしは家でネコを飼っていたものですから、イヌとは違って、ネコというものはそうはいかないのだから 「無理ではないかなあー」 と思い眺めていました。

 

 たとえが適当であったかわかりませんが、イエズスの弟子に対する態度。つまり師であるイエズスを最後にうらぎった弟子たちに、わたしなら、うらぎった人に対してそんな態度はとてもとれないと思われるのですが、しかし、イエズスは 「あなたがたに平和」 とまず呼びかけます。

 

イエズスにそれがなんなく言えるのは、ただイエズスが偉かったから、神の子キリストだったからというのではなく、わたしは人間というものはこういうものだという理解の差ではないかと思うのです。ネコは自由気ままで、テーブルの上にのってしまう…というような。

 

  そして、そんな 「人間の限界」 をまるごと受けとめ、そのような人を 「神の子」(神のじゃりン子)と言っているのであろうと思います。そんなイエズスの理解を、わたしたちも自分たちのものに共にできればと思います。