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豊島教会新聞 2022年12月号 主任司祭 巻頭言

 

 

  『  王であるキリスト 』  

 

                       主任司祭 アシジの聖フランシスコ  田中隆弘

       

  イエスはお答えになった、「私の国は、この世のものでない。」 「わたしが王だとは、あなたが言ってい

  ることだ。私は真理について証をするために生まれ、そのために世に来た。真理から出た者は皆、私

  の声を聞く。」 ピラトは言った。「真理とは何か。」 (ヨハネ18・36‐38)

 

 2年に一度の2021年の 「王であるキリストの祭日」 に予定していた豊島教会合同堅信式は当時のコロナ禍の状況を考慮して中止になりました。2022年11月20日 「王であるキリストの祭日」 に3年ぶりに合同堅信式が行われました。当日、堅信を受けたのは19名でした。

そのミサの中での保護者の方代表の共同祈願にあるように 「堅信の秘跡を通して聖霊の力で強められた兄弟姉妹が、聖霊の恵みを信じ、その導きに従い、それぞれの場で、使徒として与えられた使命を果たしていくことができますように」 祈りたいと思います。それぞれのタレントを大切にしながら。

 

 さて以前2019年9月29日に帰天した竹山昭神父(鹿児島教区司祭)の講話を東京で聴いたことがありました。竹山師は「罪」ということに関しての話の中で、創世記の創造物語の箇所で、エデンの園には命の木と善悪を知る木が園の“中央”にあったとしるされている。そして、もし人がそれを食べると人は死ぬと神は語っているが、それに対してへびはその実を食べると死ぬのではなく、神のようになると語り、人に食べるようにすすめ、人は食べたという物語りを引用して、「罪」 とは人が神にかわり、その園の中央に立ち自分たち中心になった時にはじまる、というような話をされていました。

 「わたしの国は、この世のものでない。」 と語るイエスですが、それは 「わたしの国はこの世の“人々”のようなものではない。」 と言っているのではないでしょうか。そして、イエスにとってこの世の人々は中央志向に走り、それぞれの場の王権を自分のものとしようとしている者たちの集まりと観ていたのではないでしょうか。それぞれの所で自分中心に考え「それはよい!それはわるい!」と考えてしまうそんな人々がこの世を支配していると観えていたのでしょう。

 

 しかし、イエスにとって、父なる神様こそが 「中央」 にいるわけです。そしてイエスはその神と共にあり、一致しているのです。わたしたちはイエス・キリストからそこに招かれています。神を中央にした国で園で 「共に神の子としてのわたしたち」 として生きるようにと呼びかけられているのです。堅信を受けた方々がその招きにこたえ、マリアさまのとりつぎのうちに歩んでいけるように祈りましょう。