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豊島教会新聞 2017年10月号 主任司祭 巻頭言

                                   『 開心して福音を信じる者に 』      

                                      

                          主任司祭  アシジの聖フランシスコ 田中 隆弘

 

   マタイ福音書のなかでイエズスは「自分の命を得ようとする者はそれを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得

  るのである。」(マタイ10.39)と語っています。

   キリストと共に死に、キリストの復活にあずかり、神の命の世界に生きること、そのことによって真の自分が、そしてほんとうの

  世界が観えてくるのだと・・・。

   その際、大切なことと想うのは、その時、自分が信じていた神も死ななければならないということではないでしょうか?

   神学校に入学してくる、神父をめざす人たちは入学してきた時に「召命をいつ感じたか?」という問いに対して、皆答えて

  入ってくるのですが、たいがいの人は、あまり自信をもって答えられないのです。しかし、後輩のうちの一人に「母の胎内にいた

  時からです!」と はっきり答えて入ってきた人がいました。

   その人は信仰に対してもたいへん自信があったようでした。でも、その人は数年後、神学校の養成担当の神父さん方の判

  断でやめてもらうことになりました。 そういうタイプの人々は皆自分の信仰内容、そして「自分の神」に自信があり、神学校で

  神学部の先生方の示してくれる神を、教会の姿を受け入れることができない訳です。

   自分を特別な者と想い、知恵あるものと想い、自分に信頼しすぎる者は、つまり神の力により頼もうとしない人は真の神の

  国を観ることに失敗するのではないでしょうか?

   そして、逆に神の国が示されるのは、神に頼り切る小さな者、幼子ということになるのではないでしょうか?

  モーセの十戒にあるように、わたしたちも心に 「自分の神さまの像」を 刻むことなく、いつも心を わたしたちに語りかけてくれる

  神さまに開いていることができれば、と想います。