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豊島教会新聞 2017年12月号 主任司祭 巻頭言

 

 「 犬の散歩 代行ボランテイア 」           

                                      

                        主任司祭 アシジの聖フランシスコ 田中 隆弘

 

 海外ニュースで あるボランテイア活動が紹介されていました。それは「犬の散歩ボランテイア」 犬の散歩代行のボランテイアです。

場所はアメリカのニューヨークで、映像で紹介されていたのは飼い主のアパートメントの一室から犬をあずかりセントラルパークで犬を散歩させて帰宅しエサやりと老犬の世話をする、というものでした。 週末も祝日も休みなく毎日、朝・夕2回10名のボランテイアが交代で犬の世話をしていました。

 

 飼い主は90才のアーノルド・ジョンストンさん、20年前に妻に先立たれて一人暮らしがさみしく、捨て犬の小犬をシエルターから引き取り、17年共に生活していたのですが、足腰が弱くなり、数年前から犬の散歩に行けなくなっていたのです。

 

 手ばなさないで一緒に暮らしたい、ジョンストンさんにとって いまは老犬になった「ジェイド」は もうパートナ・友人・親友・家族なのです。一人暮らしの彼にとって大切な相棒なのです。 しかし、散歩の代行のお金をだすことができないのです。

 

 そんな人たちのためのボランテイア団体がニューヨークにはあり、1500人のボランテイアが無料で200組の一人暮らしの老人と老犬のために活動しているそうです。

 

 マタイの25章のたとえ話でイエス・キリストは 「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのだ。」 (マタイ・25・31-40)と宣言しています。

 

 この 「犬の散歩ボランテイア」 わたしはこんなボランテイアがあることを知りませんでした。 この犬の散歩代行のボランテイアも 「わたしにしてくれたことなのだ」 になるのではないでしょうか。

 

 それぞれの 「わたし」 にそれぞれの人が気がつき それに対応することによって多様な人々を 多様の人々が助け合う、それが神の国のゆたかさと なるのではないでしょうか。 そんな神の国の羊として 互いに助け合う者に 共になることができればと想います。

 

                      (「王であるキリスト」2017・11・26 7:00ミサ説教より)